2023.4.12 参議院 国民生活・経済及び地方に関する調査会 参考人質疑「誰もが取り残されず希望の持てる社会の構築のためには?」

【議事録】

○木村英子君
 れいわ新選組の木村英子です。
 本日は、参考人の先生方のお話を聞く機会をいただき、ありがとうございます。
 子供の自殺や教育の格差、そして子供の貧困、これらの問題は密接につながっているということを私自身の経験を通して実感しているところです。私の生い立ちを少しお話しさせていただいてから質問に移りたいと思います。
 私は幼いときに障害者になりましたが、障害があることで親が私の介護や自宅から遠い養護学校へ通わせるために定職に就けず生活が困難になっていく中で、親に心中を迫られたことが何回もあります。そのたびに、幼かった私は泣きじゃくり、その声を聞いて、親は我に返り、思いとどまるのです。親からは、自分が死ぬときには一緒に連れていかないといけないといつも言われていました。
 中学までは、障害者の私がいたら家族を不幸にする、いっそ死んだ方がいいのではないか、そう思っていました。そんな状況の中で、親は私を育て切れず、施設に預けるしかありませんでした。施設の生活は手術とリハビリが中心でとても過酷でしたが、家族に殺されるくらいなら施設に行くしかないと思っていた頃もありました。私と同じように施設にいた子供たちの中には、心中で亡くなった子もいます。
 このような悲惨な状況は、社会が障害者の責任を家族だけに負わせることで自殺や心中に追い込まれていくと思います。昔よりは心中は、障害者の心中は少なくなったとはいえ、家族だけに責任を負わせることの弊害は今もなお続いています。このような家族主義によって、親が障害者を抱え込まざるを得ない状況に追い込まれ、学校や地域、そして社会とのつながりを断絶させられています。社会には障害者が安全に生きていける環境が整っていないことから、我が子を守るために施設や養護学校、現在の特別支援学校に預けるしかない状況の方もたくさんいます。そうした分けられた環境に置かれている私たちが大人になったとき、介護がなければ生きていけない障害者は、親亡き後、社会へは出られず、卒業後、施設に行くしかありません。
 私は死ぬまで施設にいるのは耐えられませんでしたので、地域での生活を選びました。しかし、社会へ出て思い知ったのは、住宅、交通、就労、介護、全てのことがバリアだらけで、その上、社会のノウハウを知らない私が生きていくにはとても厳しい状況でした。
 そして、特に厳しかったのは、重度の障害者が施設や親元以外で地域で一人で生きていることを知らない人たちが多く、どうやってお互いがコミュニケーションを取ったらいいのか分からなかったことです。社会には障害者が生きていくための制度や保障がない中で、頼れるものは少しの時間でも私の生活を支えてくれるボランティアの存在でした。
 地域での生活を始めて38年たって痛感することは、やはり幼いときから学校からも職場からも地域からも障害者を分けてしまうことは、人と人とが支え合う関係が壊され、精神的にも経済的にも貧困になり、いじめや虐待、自殺といった悲惨な結果を生み出してしまうということです。幼いときから障害者と健常者が分けられてしまったら、人として大切な支え合う力を養うことができないと思います。学校も職場も地域も、一緒に生きていける制度や環境が整っていれば、悲惨な状況を少しでも防ぐことができるのではないでしょうか。
 しかし、日本の分離教育は、その大切な時期に人として必要なコミュニケーションの機会を奪ってしまっています。昨年の9月に、国連の障害者権利委員会から分離教育をやめるように勧告がされています。障害児と健常児が共に学び、共に働き、共に生きるインクルーシブな社会を構築していくことが早急に求められている課題だと私は思っています。
 そこで、3人の参考人の先生方に質問したいと思います。
 生きづらい今の社会の原因は一体何なのか、そしてまた、誰もが取り残されず希望が持てる社会の構築を実現するには、どうしたら悲惨な現状を食い止め、実現できるのか、それぞれの参考人の先生方の経験の中から、その方策について、そして解決策についてご意見をお聞かせください。
 まず、清水参考人の方からお願いいたします。

○参考人(清水康之君)
 ご質問いただき、ありがとうございます。また、ご自身の体験を踏まえた問題提起も本当に響くものがありました。ありがとうございます。
 私、先ほど渡辺さんからも言及がありましたけれども、やっぱり多様性が鍵になるんではないかと感じています。
 具体的に言うと、デンマークに3、4年前に視察に行ったことがあるんです。なぜデンマークに行ったかというと、デンマークって、皆さんご承知のとおり、OECD諸国の中でも幸福度が非常に高い、かつ生産性も極めて高い国なんですよね。その両立がどう実現しているのかということ、あっ、ちなみに自殺率も、日本の、大体40%ぐらい日本よりも低いという状況なんですけれども。
 それで、なぜなんだろうと思って行って、まず学校を見せていただいたんです。驚いたのは、私が見たのは小学校2年生の教室だったんですけれども、日本だと、先生がいて、先生に向かって生徒がこう並ぶという形で座るじゃないですか、でも、そのデンマークの学校は、壁に向かって座る机もあれば、あと何人かがグループで輪になって座る机もあって、あと先生に向かう机もあって、何か特別な授業をやっているのかと思って聞いたら、いや、ふだんからこうだよって言うんですよ。なぜかというと、子供それぞれによってパフォーマンスが一番発揮できる環境というのは違うでしょうと。先生とアイコンタクトをしながらの方が集中できる子もいれば、仲間と相談しながらの方がいろいろなアイデアが出せる子もいるし、あと、壁に向かって、こう視界が何もないところでの方がパフォーマンス発揮できる子もいるので、それはそれぞれの子に合わせた環境をつくっているんだというんですね。
 しかも、それを本人に選ばせるというんですよね。例えば、仲間と一緒に座りたいというふうに言った子が、でも仲間とこうふざけ合っちゃって、もし何か授業の課題ができなかったら、それはその子にしっかりとその事実を確認をして、それで、じゃ、別の環境としてどういう環境だったらパフォーマンス発揮できるのかというようなことでまた選ばせるという、それをもう小さい頃からずっとやっているというんですよね。
 そうすると、かつ、宿題も出さずに午後はできるだけ体験をしてもらう、森に出かけたり、あと地域のいろんな職業の大人の話を聞いたりという中で、そうすると、子供は、これをやりたいとかあれになりたいとかもっと上手になりたいとモチベーションを持つと、もう大人が止めてもやるようになると。しかも、やるようになる中で、その子その子が一番パフォーマンス発揮できる環境を整えてあげれば当然成長する。成長すると本人も満足する。なので、自己肯定感が高いというのと生産性が高いというのは表裏一体だという、そういうお話だったんですよね。
 これ、まさに、いろいろな環境で力を発揮する、あるいは、画一的にしていくことが生きづらさにもなっているし、かつ生産性も伸びないというのは、私はそういうところにあるんじゃないかというふうに思うので、まあ人口がデンマークで600万人弱なので日本と一概に比較できないんですけど、ただ、そういうところにヒントがあるんじゃないかという気がしています。
 以上です。

○参考人(渡辺由美子君)
 ありがとうございます。
 本当に生きづらさ、生きづらい社会になっているなと思っていて、それをどうにかできればいいなと思って、いろいろあると思うんですけれども、例えば、先ほどコストパフォーマンスみたいな話がありましたけれども、やっぱり企業の中で言われていた生産性みたいな概念が地域社会とか生き方みたいなのにも入ってきてしまっていて、要は、いかに効率よく学ぶかとか生産性が良くなるか、逆に言うと、どうやって損をしないかというところに余りにも意識が行き過ぎていて、やっぱりそれがすごく余裕をなくしているんじゃないかなと思っていて、いや、もうちょっと優しくなった方がみんな幸せじゃないかなと思うんですよね。
 例えば、私たちがやっているような学習支援も、一生懸命寄附とか集めてやって大変なんですけど、やっぱりやって、子供が、ああ、おかげさまで受かりましたとか、親御さんが、いや、本当に学校行かなかった子がここに来てみたいなことを言ってくれるとうれしいから、みんな大変だけど良かったよねというふうな話をよく社員とするんですけれども。
 本当に、損か得かでいう考えではなくて、やっぱりもうちょっと優しくして、人が何か良くなったら幸せだよねというふうなことがやっぱり社会的にもいいんだということをもうちょっと、もう一回思い出すといいんじゃないかなと思っていて。
 こういう活動をしていると、よく年配の方が、いや、実は僕も一人親だったんだよと言うんですけど、だから、私がよく話をするのは、いや、一人親家庭はクリスマスのときにケーキも買えないから、いや、ホールケーキを見たことがないとかという子がいるので、居場所でホールケーキ切ってあげるとすごく喜ぶんですよみたいな話をすると、僕も一人親だったけど、僕が子供の頃は家にクリスマスになるとケーキが二つあったと言って、要は、近所のうちで、あそこはちょっと事情があるからというと、要はお母さんがあそこのうちへ持っていきなと言って買ってくれて渡してくれていたんだなと今だったら分かるけど、当時は子供だから分からないけど、クリスマスにケーキ食べられてうれしいみたいな話だったんだけど。やっぱり何かそういうふうにちょっと人に優しくするみたいなことが昔は大事なことだった、いいよねとなっていたんですけど、今はどっちかというと、いや、そんなことをすると損だからやめようみたいなことが余りにも行き過ぎてしまっている。
 先ほど不登校の問題もありましたけど、不登校のお子さんたち、私たちのところにも来ているんですけど、すごく優しくていい子なんですよ。本当に優し過ぎて、学校のそういったところに付いていけない。例えば、ちょっとお友達が何かいじめに遭っているだとか何かつらい目に遭っているときに、自分がなかなか助けられないと。何かいろんな人に言おうかと思うんだけど、やっぱりそんなことしたらあなたが大変になるからやめなさいみたいなことを言われて、もう何もできない中で、何かそういったものがもやもやしちゃって行けなくなると。本当にこんな優しくていい子が学校へ行けないってどうなんだろうなと思うんですけど。
 やっぱり今の本当に子供の社会にもやっぱりそういう、いかに効率よくみたいなことがなっていて、先ほどデンマークのお話、本当にすばらしいなと思っていて、やっぱり余裕があるだとか好きなことを一生懸命やるとか、いやいや、それはちょっと損じゃないのと思っても、いや、好きだったらちょっとやってみようみたいな、やっぱりそうやって、いや、友達困っていたら、自分がちょっと大変になっても助けに行こうだとか、やっぱりそういうことが良いよねと。
 だから、今は何となく、そういうことすると、いや、それは損だよねとかやめた方がいいんじゃないのみたいになるんですけど、いやいや、その障害のあるお子さんたちや子供も一緒に学んで、でも、ちょっと大変だけど助ければ一緒にできるし、いや、その子喜んでいるからいいよねというふうに、子供は本当は思っているんですよね。実は親御さんたちがやっぱりそれはすごく自分の子供の学びの機会が失われちゃっているんじゃないかみたいなふうに思うんですけど、いやそうじゃなくて、大事なことは、そこにあるから、子供、そうしましょうよというふうにみんなが考えていく。本当に、もうちょっとこう優しいっていいよねとか、優しさって大事だよねみたいなことを思い出せるとみんなもうちょっと幸福度が上がるんじゃないかなというのは活動していてすごく思います。
 以上です。

○参考人(阿部彩君)
 ありがとうございます。
 渡辺さんの話に続けますと、私は日本の人々が意地悪になっているわけではないというふうに思うんですね。なので、損に、だからやらないとかそういうことではない。今、木村先生がおっしゃってくださったその障害の方々に対する支援というところもそうなんですけれども、ですけれども、このような、何といいますか、いろんな困難さを抱えているグループがたくさんあって、多くの日本の国民が苦しいと思っている中で、ゆとりがないからほかの人に優しくできないんだと思うんです。
 ですけれども、前の話に戻りますけれども、ここをやっぱり打開するには、みんな苦しいので、苦しいので、自分が負担するのは嫌だし、人に対しても優しくできないし、クリスマスケーキもう一個買うなんて余裕は私にはないわというふうに思ってしまうわけですけれども、ですけれども、ここを脱却しなきゃ、には、でも、みんな、でも苦しいよねと、いろんな人がいてたくさんの人が苦しいよねといって横で連携するしかない。連帯という言葉かなというふうに思うんですけれども、包摂という言葉かもしれませんけど。なので、私以外の誰かが支援してくれるんじゃないかなとか、どっかで何かすごく余裕のあるリッチな人がいるんでしょうみたいなマインドでやっていると絶対に恐らく前に進まないので、政治的に。いや、みんな苦しいんだから、だからみんなで助け合いましょうというふうな横に結び付けるような動きが必要なんじゃないかなというふうに思っています。
 ですので、いろんな団体さんのグループもあって、障害のグループもあれば子供のグループもあれば高齢者のグループもあれば一人親のグループもあればっていろいろあるんですけれども、若者のグループもありますし、そのように別々ではなくて横につながった形で政治を動かすことができればいいのではないかなというふうには思います。

○木村英子君
 先生方、ありがとうございました。終わります。

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