議事録
○木村英子君 れいわ新選組の木村英子です。本日は、委員長並びに理事の皆様に御配慮いただき、参考人の方をお招きすることができました。ありがとうございます。
今日は、ここにお越しいただいた三井絹子さんの重度障害者としての経験に基づいた現状を心のバリアフリーの観点からお聞きしたいと思います。
三井絹子さんに質問いたします。
最近受けた差別の事例についてお聞かせください。
○参考人(三井絹子君)(陳述補佐) こんにちは。三井絹子です。
私は、ふだんは文字盤を指してそれを介護者が読んで話をしますが、今日ここでそれをやると何時間も掛かってしまうので、文書を用意してきました。議員さんの中に発言に時間の掛かる人がいたら、その時間の保障はあるのでしょうが、私は参考人なので書いてきました。介護者に読んでもらおうと思います。
私は、現在七十五歳になる重度障害者です。二十歳で施設に入れられ、非人間的な扱いに耐えられず、都庁前に一年九か月の座込みを経て地域に出ました。地域でどんな障害を持つ人も生きていけるように様々な闘いをやってきました。ライフステーションワンステップかたつむりという障害者の自立支援を行っている団体の共同代表と全国公的介護保障要求者組合の委員長をやっています。
私が最近受けた差別事例は、緊急事態宣言の中で起きた銭湯での出来事です。私は、団地住まいでお風呂場は狭くて段差もあり、私と介護者三人ではとても入れません。そして、お風呂に入れないと毛穴が詰まって熱が出てしまうんです。
私は、ふだん市内の温泉に行っています。でも、その温泉が休業になってしまったのです。唯一開いている銭湯がありました。私は二週間お風呂に入れていなかったので喜び勇んで入りに行きました。しかし、入口で入店拒否をされました。その銭湯の店主の主張はこうでした。店内の床が電動カーの重さに耐えられるか分からないため、電動カーのまま入らないでほしい、ここは営利目的の施設であって障害者のためのバリアフリーの設備はない、介護者は衣服を着たまま入るのではないか、そういった形での入浴は許可できない、営業時間外なら対応する、今店内にいるお客さんに車椅子の人が入ってもいいかという確認をしていいか、車椅子の人がいるとほかのお客様がリラックスできない、このように様々な理由を並べられ、入店を拒否されました。
私は、車椅子でなければ姿勢を維持することができません。浴室では浴室用の手動車椅子が必要、脱衣所では電動車椅子の上で着替えをしたり、その上で水分補給をするため、電動車椅子が不可欠なんです。それに、店主は介護者が服を着て入ると勘違いしていましたが、そんなことはありません。私も一人の客。一般の客と同じ対応をしないということは差別に当たります。
その日は、今日は時間がないため入らせてほしいと話して入れることになりました。しかし、お風呂から上がった後、やはり外で使った電動車椅子を店内に入れることはできない、電動を外に置いて入ってくださいと言われてしまいました。それでは私はお風呂に入れません。
翌日、国立市職員にこのことを報告しました。その後、市と銭湯側、私と市、市と銭湯側と私など様々な形で話合いを重ねていきました。そして、電動車椅子のタイヤにカバーを付けるということで入れることになりました。晴れて入れた後もいろいろ言われましたが、市職員の対応で、今はほかの地域のみんなと一緒に入ることが実現しています。
でも、ここまでしないと入れないのも事実です。地方の温泉に行っても必ず入店拒否を受けます。差別解消法の話をしても、そんなものは通用しないと幾度となく言われてきました。そんなに通用しない法律って何なんでしょう。
私は、いつも、どこでも、どんなときでも地域のみんなと同じように権利が守られていくことを常に希望しています。これは決して大それたわがままな要求ではないと皆さんに分かっていただきたいのです。
○木村英子君 三井絹子さん、ありがとうございます。
お話しいただいたように、バリアフリー法が施行されて十四年が経過しましたが、建物のトイレやスロープ、手すりなどのハードのバリアは解消に向かっていますが、偏見や差別意識など心のバリアフリーについては理解が遅れていて、ハードのバリアだけを整えても意味はありません。
三井絹子さんのお話を聞いて、国土交通省において心のバリアフリーを徹底していただきたいのですが、赤羽大臣のお考えをお聞かせください。
○国務大臣(赤羽一嘉君) 国土交通大臣の赤羽でございます。
三井さん、今日は大変お出にくいところ御足労いただきまして、また、なかなか健常者では分からない視点の貴重なお話を聞かせていただきましたことに、まず国交省を代表して心から感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
バリアフリーの社会を目指すということは大変崇高なことだと思いますが、その時間も掛かるし、大変な努力とかをしてこなければなかなか現実には変えてこれない、現実と理想のギャップをどう埋めていくのかということの闘いをこの二十年間、交通バリアフリー法を作ってからしてきたというのが私の率直な思いでございます。
一つ一つ重ねながら、最初は駅、駅という点からバリアフリー化を始めて、それが公共の建物、また面的な整備というのも、まあまだ、この前もちょっと御答弁しましたが、道半ばというか、まだまだやらなければいけない課題があるのは事実です。
それに加えて、ハードのバリアフリーだけではなくてソフト面のバリアフリーというのは物すごく大事だということは全く御指摘のとおりだと思っておりますが、これもなかなか言うはやすくで簡単な話ではなくて、バリアフリー法の法改正の中でも心のバリアフリーというものを明示して国会に提出をさせていただいて、議論の中、成立もさせていただきました。
今回の法改正で、文部科学省も一緒になって心のバリアフリーの教育を進めていくということも、国の、何というか、課題として明確にしながら、そこを進めていこうということでございます。
そうしたことで、多分、様々な立場で、差別をしたという意識がなくて結果的として差別を、差別的な行為をしてしまったというケースも多々あるかと思いますし、それがやっぱり、障害を持たれている方の立場を理解している人がどれだけいるのかということがバリアフリーの真の共生社会が実現できるかどうかに懸かっているというふうに思っておりますので、障害を持たれている方の立場に立てる国民を一人でも多くやっぱり育成していくというのが、これは教育の範疇の仕事かもしれませんが、バリアフリーを所管する国土交通省としてもしっかり心のバリアフリー教育はしっかり取り組んでいきたいと、こう決意をしております。
○木村英子君 赤羽大臣、ありがとうございます。
三井絹子さんにまたお伺いします。
社会の中で障害者への差別がなくならない原因というのは一体何なんだと思いますか。また、差別をなくすためにどのようなことが必要なのかをお聞かせください。
○参考人(三井絹子君)(陳述補佐) 就学猶予の悲しい経験。私は学校へ行ったことがありません。私はみんなと学校に行きたかった。みんなと一緒に勉強がしたかった。私が学齢児になったのは一九五一年頃でした。母親が学校側から、おたくのお子さんは自分の身の回りのことはできない、自分で通ってこれないと言われ、就学猶予の手紙が来たのです。猶予とは、分かりやすく言うと、ぐずぐず先延ばしにすること。七十五歳になった今でも猶予です。
小さい頃の私の家は学校が近くにあって、毎日、子供たちの行ってきますの声を聞き、私も行きたいという気持ちが募っていました。運動会の日、会の進行の曲が流れ、もうたまらなく気持ちをかき立てられました。家のそばでござを敷いて遊んでいたら近所の子供たちが数人寄ってきて、おまえ、しゃべれないのか、歩けないのか、何も言えないのか、変な子、変な子と口々に言ってきたのです。悔しかった。一緒に学校に行って一緒に遊んでいたら、もっと理解は進んでいただろうと思います。その後、家庭の事情で施設に入りました。ますます障害を負った。私は社会から引き離され、隔離された。義務教育といいながら、私の教育を受ける権利は奪われたままになっています。
今の学生たちは、私のような重度障害者がそばを通ろうがよけようとしないし、見ようともしない、無視の状態です。声を掛けようとしてそばに行くと、するりと行ってしまいます。これは一緒の場で育たなかったことの弊害だと思います。要するに、私とあの人は違う、関わる必要がないと認識してしまっているんです。私は大学の講演を依頼されます。しかし、終わればさっさと学生は帰っていってしまいます。
やはり生まれたときから、幼児期、少年期、青年期まで一緒の学校で育ち、成人期、熟年期、老年期、社会の中で共に生きて共に泣き笑いをして考えをぶつけ合ってこそ、相手の存在を互いに受け入れられるというものです。学校は子供たちが育っていく一つの社会です。社会にはいろいろな人が生きている、そのことを知らせていくべきです。分けていくのではなく、また少しの交流でもなく、生まれたときから一緒に育っていくことが必要なんです。目に見えない心の交流が育っていくんです。
私は今、参考人としてここに立っていますが、なぜこの場に立とうとしたか。私は、ここまで差別され、排除され、隙あらば社会から外されてきました。外されないように闘ってきました。そのことを皆さんに知ってほしかったんです。
学齢期が来ても通知一つで大事な成長期を奪われ、その後施設に入れられ、差別され、人間扱いされず、日夜泣き明かしてきました。地域に飛び出しても重度障害者が生きられる介護保障はなく、全てが闘って勝ち取ってきました。こんなに苦しまなくても、生まれたときから同じ地域社会で生きていれば理解はみんなにされるんです。
そして、道を、店を、駅を、乗り物を、全てバリアフリーになるには、心のバリアフリーが重要です。フルインクルーシブ教育で共に生きてきた人たちが必要なんです。一緒にいた経験があれば、障害を持つ人が困っていたら助ける方法も想像付くし、何を困っているのか、自然に本人に聞くことができるんです。
心のバリアフリーはどのようにつくられていくか。これは先ほども言いましたが、共に学び、遊び、育ち合うフルインクルーシブ教育をしていくことが大変重要だと考えています。あえてフルインクルーシブ教育という表現を使っているのは、現在のインクルーシブ教育では、まだどんな障害を持っていても共に学ぶことが実現していないからです。当たり前にクラスにいる子は、障害を持っていてもいなくてもクラスメートになります。違う学校に行ったり違う学級にいると、自分たちと違うと子供たちは認識してしまいます。これが心のバリアになってしまっているのです。
次のような研修を提案します。
例えば、車椅子で町に出ようという企画の中で、子供たちに障害者になる体験をしてもらいます。私を見ていただければ分かると思いますが、しゃべれないから文字盤でしゃべっています。そして、どこもかしこも動けないという経験をしながら、車椅子で町に出てもらいます。押している子はその文字盤を正確に読み、行く方向をしっかり聞いて進んでいくのです。指示を出すのは車椅子に乗った子です。車椅子に乗りながら、公共交通機関、電車やバスなどにも乗っていきます。道や電車、バスなどで、車椅子で乗ってみて何か困ったことはなかったか考えてもらうことが必要です。介護をされる体験と介護をする体験と、バリアフリー点検を兼ねて研修することで、今まで持っていた、若しくは知らなかった心のバリアに気付き、相手の気持ちになって考えるきっかけになると思います。
交通機関一つ取っても、現在、ハード面を充実させる取組は行われようとしています。しかし、ハード面のバリアだけが整っても重度障害者はバリアフリーにはならないんです。障害者の意見を聞くとき、重度の障害者に意見を聞くのは必須です。なぜなら、重度の障害者が言うバリアフリーが誰でも利用できるバリアフリーになるからです。そして、重度障害者にとってハード面の充実だけではバリアフリーとは言えません。小さいときに車椅子でどうやって町を歩くの、バスに乗るの、電車に乗るのといった疑問を自分たちで体験し、様々な方法を当事者から学ぶことで、困っている人がいる、じゃ、何を困っているのか尋ねて一緒に解決しようと考えられるようになるのです。
是非、心のバリアフリーの学習を実のあるものにしてください。
○木村英子君 三井絹子さん、ありがとうございます。お話ししていただいたように、三井絹子さんの時代は就学猶予で、私は養護学校に通いました。政策によって分けられる現状はいまだに変わらず、それが地域で生きるときの弊害になっています。
そこで、文科省の亀岡副大臣と赤羽大臣にお聞きいたします。
障害者の人生が政策によって左右されてしまう現状を踏まえ、フルインクルーシブ教育の推進や心のバリアフリー教育の充実についてどのようにお考えかをお聞かせください。
○副大臣(亀岡偉民君) 木村委員には、いつもインクルーシブ教育、また心のバリアフリー化に対して御指導いただくこと、ありがとうございます。また、三井参考人からは、いろんな貴重な体験をいただきまして、ありがとうございました。
まさに、今、インクルーシブ教育、そして学校の場で障害者と健常者、共に学ぶ環境をいかにつくっていくかということは我々も大事なことだということで、今、授業の中でも取り入れて体験をしていただいております。
できる限り、いつも委員が言われているように、心のバリアフリー、しっかりと学校の中で、小さいときから教育が、共に学び、共に活動し、共に生活ができる、そういう学習、学び舎の環境づくりのためにしっかり取り組んでまいりますので、今後とも徹底して我々頑張りたいと思いますので、また御指導いただきますよう、よろしくお願いいたします。
○国務大臣(赤羽一嘉君) 重ねてになりますが、三井参考人の、当時の我が国の時代状況、大変バリアフリーについては無理解な中で、御自身が頑張られて勝ち取ってこられたことに対して、改めて敬意を表したいと思います。
今、亀岡副大臣からのお話のとおりなんですが、共に学ぶという経験をする、その経験がある子は、やっぱりバリアフリーに対すること、また障害を持たれている方に対する接し方というのは自然に身に付いているというのは、以前の委員会でも、私、御答弁させていただいたとおりでございます。
具体的な御提案もございましたので、その御提案を実行できるように文部科学省と相談をしながら、しっかり前に進めていきたいと、こう思います。
○委員長(田名部匡代君) 申合せの時間来ておりますので、おまとめください。
○木村英子君 大臣、ありがとうございます。三井絹子さんも、今日は貴重な体験のお話を聞かせていただいてありがとうございました。
質問を終わります。