しょうがいしゃが
あたりまえに
生きられる社会の実現
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介助をつけて社会参加できる制度の実現
私の夢は、重いしょうがいを持っていても施設ではなく、地域で当たり前に、普通の女性として生きていくことです。しかし、しょうがいを持っていると社会はあたりまえには受け入れてくれません。私が選挙に出て国会議員になり、国会での活動をすることも当たり前ではないようです。なぜなら私が議員の仕事をするには、介護者がいなければ何も取り組むことができない状況であるにもかかわらず、現在の介護制度では、障害者総合支援法告示523号によって、就労(通勤、営業活動等の経済活動に係る外出等)や就学といった社会参加は認められないからです。
私が議員として活動していくために、参議院が当面の間介護費用を負担することになりました。しかし、介護の必要なすべてのしょうがいしゃに社会参加が認められていないことは、明らかな差別です。私は議員としてこの現状を変えていきたいと思い、政治に携わろうと決意しています。
命の保障のための重度訪問介護
「重度訪問介護」という制度は、しょうがいしゃが施設にいることが当たり前とされてきた1970年代初めに、施設での虐待や、非人間的な扱いに抗議したしょうがいしゃたちが都庁前に命がけで座り込んで、地域で生きるための介護保障運動を起こしたことから始まります。
当時は、介護制度が何もない中で、東京都としょうがい当事者との話し合いが繰り返され、1974年に「重度脳性麻痺者介護人派遣事業」が創設され、その後「全身性介護人派遣事業」となって国の傘下に入り、全国にその制度が広がって、地域へ自立するしょうがいしゃも徐々に増えていきました。
地域で生きるしょうがいしゃの自立と社会参加を目的として作られたこの制度は、2003年に支援費制度の「日常生活支援」という制度に引き継がれ、現在の障害者総合支援法による重度訪問介護となっています。
総合支援法のなかでは、しょうがいしゃの社会参加がうたわれてはいますが、実際、私たちしょうがいしゃが受けている重度訪問介護は、トイレ、食事、入浴、移動など「人が生きていくための最低限の生活動作」の保障がやっとであり、さらに自治体によっては支給される介護時間が足りず、一日に一回しか食事が食べられなかったり、トイレも我慢して体を壊すなど生活が逼迫し、社会参加どころか、最低限度の生活すら保障されていないのが現状です。しょうがいしゃ運動によって生まれた介護保障が始まったときから、健常者と同等な社会参加の保障は46年間も放置されてきました。しょうがいしゃは、いまだに親なき後は施設しか行き場がなかったり、行動援護や同行援護、地域生活支援事業による移動支援などの制度も、同じように就労や通学などといった社会参加が認められていません。
また、しょうがいしゃの現状は、幼い時からしょうがいがあるという理由で、健常者と分けられてしまうことで共に認め合い、共に生きる環境が整っておらず、それも差別や偏見を生みだし社会参加を妨げる要因です 。
子供の頃から介護者をつけて地域に出ることによって、大人になってから社会参加できる力を養うためにも、通学などで困っている人たちに対してもこの重度訪問介護は必要だと考えます。
来年には、この障害者総合支援法の見直しも控えているので、私たちの長い差別の歴史に終止符を打つために、介護の必要なしょうがいしゃが地域の中で当たり前に生きるための社会参加の保障を実現していきたいと思います。
介護保険との統合反対
しょうがいしゃの介護保障と高齢者の介護保険は、制度の成り立ちやサービス内容が全く違います。
私たちしょうがいしゃの介護保障は、自立と社会参加を目的として作られ、自立とは、自己決定・自己選択を重視しています。一方介護保険制度は、高齢者の家族介護の負担軽減を重視し、ここで示されている自立とは身辺自立(着替え、トイレ、食事、移動など)を言い、社会参加は書かれていません。
しかし障害者総合支援法7条に「介護保険優先原則」が書かれていることによって、また社会保障費削減の流れによって、しょうがいしゃ福祉は介護保険制度に統合されようとしています。統合されてしまったら、しょうがいしゃはますます社会参加が奪われ、人権が損なわれてしまいます。そして私は議員活動ができなくなる事態に追い込まれてしまいます。なぜなら私だけが社会参加を認められるなんてそれこそ差別だからです。
私が議員として重視していきたい政策は、しょうがいしゃの完全参加と平等に向けて、誰もが地域であたりまえに生きてける介護保障制度の充実です 。
介護制度(重度訪問介護、行動援護、同行援護、移動支援など)を利用するすべてのしょうがいしゃの社会参加における制度の充実
しょうがいしゃのニーズに合わせた「日本型パーソナルアシスタンス制度」の実現(資格のない人も介護に携われるしくみをつくる)
地域間の格差をなくす
「重度訪問介護」は、重度しょうがいしゃにとって、地域で生きるための権利を保障した制度ですが、地域によって、実質的に介護支給量に上限を設けている自治体があり、重度のしょうがいしゃは困っています。一人ひとりのしょうがいしゃの実情に合わせた、介護支給量の保障が早急に必要です。
入院時の介護保障
重度しょうがいしゃの介護は、共に向き合い慣れている介護者でなければできません。入院という緊急時は、特に言語障害や体のまひなど一人一人の特化した介護に慣れた経験値が最も必要とされます。
現在では重度訪問介護の障害支援区分6の人に限り、入院時の介護者の付き添いが認められています。しかしそれ以外の区分の人には、制度上認められていません。また入院した際にしょうがいしゃ本人の言っていることがわからなかったり、複雑なしょうがいの介護の仕方がわからず誤った介護をされてケガをさせられる事故が起こっています。
しょうがいしゃが安心して入院できるように、介護者の付き添いを保障されるよう取り組んでいきたいと思います。
人手不足の解消を
現在介護派遣を行っている事業所は、人手不足によりしょうがいしゃの利用者に対して派遣を断る事業所が増えています。そのため命がけで施設から地域へ出て自立生活を営んでいるしょうがいしゃが施設へ戻されるような実態が起きています。
今や少子高齢化社会において介護の問題は、国難に匹敵するほど急務の課題となっています。各自治体だけに任せるのではなく、国の責任においても、介護者の確保については、募集、育成(研修の開催)、派遣を実施することができるような支援体制を整えることが必要です。
生活保護についての取り組み
生活保護は、生活に困窮している人に対して、健康で文化的な生活を送れるよう最低限度の保障する制度であり、現在約200万人(令和元年7月分時点)が受給しています。しょうがいしゃは、しょうがいを負った成り立ちによりますが、地域で生活したいと望んでも社会保障が少なく、特にしょうがいが重ければ働く場はほとんどありません。
またそれ以前に自由に外に出られるような社会参加の保障がない中では、重度しょうがいしゃが地域で当たり前に生きられる所得保障は生活保護や年金しかないのが現状です。本来ならまずは社会保障が権利として与えられ、その上で所得保障がなされるべきです。
私は生活保護の基準の引き下げに対して改善を求める取り組みをしていきたいと思います。
- 保護基準の単価アップ
- プライバシー保護(窓口の差別的な対応をなくす )
- 夏季加算の創設(体温調節が難しいしょうがいしゃに対応できる加算)
- ジェネリック医薬品の強制を撤廃(自分の体に入れる薬は自分で選ぶ権利を)
住まいは地域で生きるための権利
住まいは、地域で生きるための基本的な権利です。しかししょうがいしゃはしょうがいを理由として、間違った認識(しょうがいがあると火事などを起こして危険等)があり、貸してくれない不動産屋が多い現状があります。しょうがいしゃが地域で生きるためには、住宅は大前提として必要な施策です。
- しょうがいしゃ用の公営住宅などの整備
- 家賃補助の充実
- 民間住宅の借り上げによる住宅保障
- しょうがいしゃ住宅のプランを作り、ハーフメイド方式(要望に応じて中を変える)も含めて検討すべき
合理的配慮の推進
今まで私たちしょうがいしゃは、社会の中で健常者と同じようにあたりまえに生きていきたいと思っていても環境が整っていないために、さまざまな場面においてバリアや差別が生まれ、生きにくくされてきました。さらに地域の中でしょうがいしゃと健常者が分けられていることによってお互いを知る機会を奪われ、ともに生きていく関係づくりに大きな壁(社会的障壁)をつくられ、差別されてきたという長い歴史があります。
日本では、2014年に国連の障害者権利条約を批准し、やっと差別をなくす取り組みに一歩近づき、そして2016年に国内法である障害者差別解消法が施行されました。この法律は、健常者と同じように、しょうがいしゃの人権や基本的自由を守るためのものです。
しかし、施行されてから3年が経ちましたが、いまだに社会の中で、しょうがいしゃが安心して生きていける保障は整っていません。
今まではしょうがいは本人のせいとする考え方(医療モデル)でしたが、この障害者差別解消法では、しょうがいは社会の仕組みに原因があるという考え方(社会モデル)になりました。
そしてしょうがいしゃが、健常者と同じ権利をもって、自分の望むように生きていくことができる社会にするために、法律で、国が合理的配慮を推進していくことになりました。この合理的配慮とは、建物や交通、教育、医療、情報、防災、慣行などあらゆる場面においてしょうがいしゃに合わせた配慮をすることです。
私たちしょうがいしゃの日常には、さまざまな社会的なバリアがあります。例えば、電車やバスに乗りたくても階段があったり、混雑しているときは断られたり、しょうがいがあるという理由で家を貸してもらえなかったりします。また、心のバリアでは、しょうがいを持っているという理由で遠足や修学旅行などの参加を拒否されたり、災害時に避難所で迷惑だというような暴言を言われ、そこにいられない状況にさせられるなど差別をされることが多いのが現状です。
私が掲げる政策のひとつは、しょうがいしゃと健常者が分けられることなく、支えあって一緒に暮らしていける社会を作っていくことです。どんなに重いしょうがいを持っていても、その人が生きていける社会は誰もが生きやすい社会になると私は信じています。
障害者権利条約の考え方のもと、あらゆる場面での合理的配慮の推進に取り組んでいきたいと思います。
以下の合理的配慮に取り組んでいきます。
- 交通アクセス(鉄道、ジャパンタクシー、バスなど移動の自由を保障する)
- 多機能トイレではなく、それぞれのしょうがいに合わせたトイレの設置
- しょうがいしゃの防災対策
- 心のバリアフリー
ちょっと待って!出生前診断
現在、妊娠した女性が出生前診断の結果で胎児がしょうがい児だとわかったとき、80%近くの女性が、産まないという選択をしています。
今の出生前診断は、命の選別につながる恐れがあります。
私は幼いころから重度のしょうがいを持って生きていますが、生まれてきて良かったと思っています。
私は、しょうがいを持ってからすぐに施設や養護学校で育ち、同い年の健常者の人たちと関わったのは地域へ飛び出した19歳の頃からです。私の地域での自立生活を支えてくれた多くのボランティアの人たちは、私と出会うまでしょうがいしゃと関わったことがない人たちばかりでした。その人たちは、私の介護を続ける中で初めは戸惑ったり、怖がったりしていましたが、関係が深まっていくうちにしょうがいしゃではなく、私という個人としての絆が生まれていきました。私の介護をしてくれた若い学生の一人が結婚して、子どもが生まれました。その子はしょうがい児でした。その介護者は、その子を連れて私の家に遊びに来た時、「私は英子さんの介護をしていたおかげで、この子がしょうがいを持っていても不安を抱かず将来は大丈夫、という気持ちになりました。」と聞いたとき本当に出会えて嬉しかったことを覚えています。
しょうがいしゃは幼い時から分けられてしまいます。そのことでお互いのことを知らずに育ち、社会の中で共に生きにくくされています。もちろん、しょうがい児を持った家族も、そして本人もとても大変な困難を余儀なくされていますが、同じ地域の中で一緒に学び、一緒に育つことができたら、しょうがいは不幸だという考え方は減っていくと思います。
私は子どもの頃は、しょうがいしゃに生まれて不幸だと思っていました。しかし地域で最大の夢だった自立生活を実現し、多くの人たちとの出会いと支えがあって、今日まで命をつないでくれた介護者の人たちに感謝をすると同時に、私は生まれてきて良かったと実感しています。生まれてきた命が将来どんな人になるのか、どんな人生を歩むのか、それは親が決められるものではないと思います。私の親は、自分が死ぬときに英子が不憫だから一緒に連れていくと言っていました。でもそんなあきらめられていた命だった私が今、国会議員になっています。これが私の驚きの奇跡です。だからあなたに子どもができたらすぐに命の選別をしないで少し考えてみてください。あなたの子どもの未来を作るのはあなたではなく、あなたの子ども自身が作っていくものなのですから。
しょうがいがあってもなくても、尊い命です。しょうがいを持った子どもたちが大切にされ、安心して生きられるように地域社会が整っていれば、命を差別されることはないと思います。
すべての子どもが安心して生まれる権利、育つ権利が保障されるような取り組みをしていきたいと思います。
共に生きる社会づくり
しょうがいしゃは幼いころから健常者と分けられてしまい、地域で一緒に学校に行ったり遊んだりできる友達と出会う機会を奪われています。そのため大人になって突然社会で出会っても、人間関係を作ることが難しく、差別をされて、共に生きにくい状況に追いやられているのが現状です。
しょうがいを持っている人は支え合ってくれる人が必要です。そしてしょうがいを持っていない人も社会の中で大切な人と支えあって生きています。自分の親しい人達だけではなく、誰に対しても支え合える気持ちがあれば共に生きられる社会が実現すると私は思います。その共に支えあう力を養える時期が子どもの頃だと私は実感しています。
私自身子どもの頃から施設や養護学校で育ち、19歳で社会に出てから、しょうがいによって一人では生きていけないので、たくさんのビラを自分で配り、多くの人に声をかけ自分を介助してくれるボランティアを探しました。しかし社会を知らない18年間の空白のために、健常者とどう付き合ったらいいかわからずとても苦労しました。もっと小さい時から一緒にいたら、しょうがいは関係なく個人として付き合うことができ、差別をしない人間関係を作ることが可能だったでしょう。
1979年に養護学校義務化が始まって40年以上が経ち、ますます分ける教育が進められて、人と人との関係がとても希薄になり、差別が進行し人間の尊厳を冒すような事件が起きています。それを解決するには、幼いころからしょうがいがある子もない子も、一緒に学び、一緒に遊び、一緒に生きていける環境が必要だと考えます。
共に学びあえる新たな学校づくり
しょうがい児と健常児が幼いころから同じ学校に通い学びあうために、原則、地域の学校にすべての子が通い、同じ場で学ぶ。
すべての学校に合理的配慮を行い、ハード面のバリアフリーを行う(トイレ、手すり、点字ブロック、エレベーターなど)。ソフト面その他必要な合理的配慮を整備する。子どもたちが、どんな能力を持っていても安心して同じ学校に通えるようにする。
しょうがい児が普通学校に通う際に、必要な職員の人数を確保する(医療行為のできる職員を含む)
就学相談の廃止
就学相談(事実上の就学時健診)は分ける教育につながり、小さい時から必要な人間関係を妨げ、差別を生み出します。現状を変えるためには、0歳からの健診から分けないようにすることが必要です。さらに就学時の健診によって子どもを区別することは、その後の子どもたちの未来に大きな影響を与えてしまうので就学相談は廃止したほうがよいと思います。