2022.11.15 参議院 文教科学委員会『日本のインクルーシブ教育について問う!』

【議事録】

○木村英子君 
 れいわ新選組の木村英子です。
 9月に出された国連障害者権利委員会の対日審査を踏まえた勧告について質問いたします。
 まず初めに、永岡大臣は、舩後議員の文字盤や天畠議員のあかさたな話法を読めますか、お答えください。

○国務大臣(永岡桂子君) 
 天畠議員の、何とおっしゃったか、ちょっと聞こえなかったんで……(発言する者あり)申し訳ありません、もう一度言っていただければ、少し……(発言する者あり)

○委員長(高橋克法君) 
 木村英子君、もう一度お願いします。

○木村英子君 
 大臣は、舩後議員の文字盤や天畠議員のあかさたな話法を読めますかと聞きました。

○国務大臣(永岡桂子君) 
 文字盤も読めませんし、あとは、あかさたな技法、これもちょっと難しいなと思っております。

○木村英子君 
 なぜ読めないのでしょうか、お答えください。

○国務大臣(永岡桂子君) 
 数回しかお会いしたことがなく、どういうふうにお話をなさっているかということを実感したことがなかったというのが事実だというふうに思っております。

○木村英子君 
 それは、障害者と健常者が分けられているという現状だからです。もし、大臣が言語障害のある方とコミュニケーションを取るには、その人の障害によるコミュニケーション方法を学ばなければ、関係を築くことはできません。
 障害者の人と関係を築くには、個々の障害を知り、社会的バリアを一緒に乗り越えていくための関係性が必要です。障害者と健常者の関係は簡単には築くことはできません。障害を理解してもらうにはとても時間が掛かりますし、社会のバリアによっては一緒に暮らせない状況の壁がたくさんあります。
 私たち障害者は、社会のあらゆる場面において健常者と分けられていることで、出会う機会が少なく、コミュニケーションが取りにくくされている現状なんです。
 私の場合、幼いときから分けられて施設や養護学校という狭い世界で育ったために、社会のことをほとんど知りませんでした。養護学校では友達は障害児だけしかいなく、健常者との関係は職員や教員、看護師さんという大人たちだけでした。
 養護学校の進路指導では、施設には行きたくないので自立したいと伝えたとき、教師からは、何もできない障害者のくせに地域で自立なんかできるわけがない、社会の迷惑になるだけだと言われ、存在を否定されてショックだったことを覚えています。親からも、養護学校を卒業したらどこもにも行き場がないんだからこのまま家に帰ってきてもおまえの面倒は見れない、お願いだから施設に入ってくれと言われました。私には、養護学校と施設という分けられた世界で生きていくのが当たり前であり、卒業後も施設しか行き場がありませんでした。
 私の18年間という分けられてきた年月は、本来子供たちが地域の中で身に付ける社会性を習得する大事な時期です。それを障害者だからという理由で分けられ、その大切な時期を奪われたことは、私が地域へ出たときの大きな弊害となりました。
 例えば、電車やバスの乗り方も知らず、車道と歩道の区別も分からず、また、道行く、道を歩く健常者の人たちがみんな施設の職員に見えてしまってトラウマで声を掛けられなかったり、他人とのコミュニケーションがうまく取れなくて地域で生活をするのに困難を極めました。また、障害者が生きていくための社会の保障は何もなく、街のバリアはもちろんのこと、乗車拒否や入店拒否など差別と闘う日々でした。そして、私が社会に慣れていくのに38年も掛かり、いまだに分けられて育った後遺症は克服できていません。
 私はただ健常者の人と同じように地域の中で当たり前に生きていきたかっただけなのに、社会は障害者と健常者が一緒に生きている環境ではなく、分けられてきたことの弊害を地域へ出てから思い知りました。
 もし、普通学校に障害者が通える設備や体制が整っていれば、障害もある子もない子も分けなくても済むはずです。子供たちを分けることによって差別や偏見を生み出し、一緒に生きられない社会をつくってしまっています。
 日本は2012年にインクルーシブ教育を掲げ取り組んできましたが、実態は、早い段階から障害を見付け、分離教育をすることで、特別支援学級に通う子供たちは10年前に比べて倍増しています。
 そんな中で、今年の9月に、国連の障害者権利委員から日本に対し、特別支援教育の廃止や普通学校における障害児の入学拒否の禁止を求める勧告が出されたことにより、改めて分ける教育が弊害であることを痛感しています。そして、今回の権利条約の勧告を無視してしまう文科省の対応は障害者への差別を助長するものであり、許すことができません。
 そこで、文科省の考え方をお聞きしたいのですが、国連が示しているインクルーシブ教育とは、障害児も健常児も分けずに同じ場所で学ぶという認識でよろしいのでしょうか。大臣、お答えください。

○国務大臣(永岡桂子君) 
 木村議員にお答えいたします。
 インクルーシブ教育は、障害者権利条約に規定をされている用語ではなくて、これは勧告にも定義は記載されておりませんが、ご指摘のように、同じ場所で学ぶという内容を含むと考えております。
 なお、障害者権利条約に規定をされておりますインクルーシブ教育システムとは、教育についての障害者の権利を差別なく、かつ機会の均等等を基礎といたしまして実現するために行われる障害者を包容する教育制度であって、潜在能力等についての意識を十分に発達させることや、また多様性の尊重の強化などが目的であると認識をしております。
 文部科学省といたしましては、このインクルーシブ教育システムの実現に向けまして、障害のある子供と障害のない子供が可能な限り共に過ごせるための条件整備と、そして一人一人の教育的ニーズに応じた学びの場の整備を両輪といたしまして取り組んでまいります。

○木村英子君 
 大臣の言った同じ場所で学ぶことを含むというのは、分離教育もあるよということを言っているかと思います。ということは、文科省の解釈は国連とは全く違うと思います。
 答弁では、インクルーシブ教育は条約に規定されていないと言っていましたが、すみません、配慮をお願いします。

○委員長(高橋克法君) 速記を止めてください。
   〔速記中止〕

○委員長(高橋克法君) 速記を起こしてください。

○木村英子君 
 資料1をご覧ください。


 答弁では、インクルーシブ教育は条約に規定されてないと言っていましたが、障害者権利委員会が2016年に出した一般的意見第4号のイージーリード版、これは障害者に分かりやすく書かれたものですが、「インクルーシブ教育とは? 障害のある人が、障害のない人と一緒に学ぶことです。 学校ではみんな同じ教室で学びます。」と明確に書いてあります。
 日本では、養護学校義務化など分離教育が進められる中で、障害のある子もない子も普通学校で学びたいという運動があり、少しずつ同じ学校、学級で学べる場が増えてきました。そして、2012年からインクルーシブ教育が始まっています。
 しかし、インクルーシブ教育が叫ばれている中で、今年の4月27日にはこれに逆行するような通知が文科省から出されました。この通知は、特別支援学級で支援を受けたい人は週の半分以上は支援級の教室で授業を受けることとされており、また、普通学級で半分以上授業を受けたい児童は、今まで受けていた支援級の支援を受けられなくなります。つまり、今までの学校生活がこの通知によって壊されてしまうということです。週の半分を境に、特別支援学級か普通学級のどちらかに市区町村の教育委員会に決められ、今までの学校生活が壊されるのではないかと不安を感じている方たちがいます。
 資料2をご覧ください。


 大阪では、この通知が人権侵害であるとして、障害児を持つ保護者の方々から弁護士会に対して人権救済の申立てがされており、通知に対する保護者などへのアンケートが取られています。このアンケートには、この通知によって学校生活が変わってしまうことで通学に不安を抱いている児童生徒や親の思いが書かれています。
 そして、この通知は、障害児の親の負い目や不安をあおり、教育を受ける平等な機会を保障している子どもの権利条約にも反し、学校を選ぶ権利を奪っています。障害者権利委員会の対日審査では、分離教育の廃止と通知の撤回が勧告されています。
 文科省は、国連の掲げるインクルーシブ教育を遵守し、障害のある子もない子も同じ場所で学び合える教育現場を実現するために、勧告による通知の撤回を早急に求めます。
 大臣、いかがでしょうか。

○国務大臣(永岡桂子君) 
 木村委員にお答えいたします。
 ご指摘の通知は、特別支援学級に在籍をいたします子供の範囲をそこでの授業が半分以上必要な子供に限るとともに、その必要のない子供が特別支援学級に在籍している場合は通常の学級に在籍を変更することを促すことを目的としたもので、むしろ同じ場で学ぶことを促進するというものでございます。
 このため、通知の撤回は考えておりませんが、引き続きまして、通知の趣旨を正しく理解をしていただけるように周知徹底に努めてまいる所存です。

○木村英子君 
 この通知で現在の学校生活を変更しなければならない子供たちがいるんですね。そういう人たちの救済も考えていかなければならない状況ですので、この勧告を、通知による勧告の無視は、やはり私たち障害者からすれば明らかな差別に当たります。
 私たち障害者は、これから健常者とは分けないでいただきたい。私たち障害者を、学校から、職場から、社会から排除しないでいただきたい。子供の頃に分けることは社会の全ての場面から排除することにつながります。私のように差別にさらされる、そして生きづらさを感じるこの現状を次の世代の子供たちに与えたくはありません。障害のある子もない子も学校生活を共にすることで多様性を認め合える力を養っていける大切な時期なので、子供のときにしかつくれない友達との関係を、分けることで奪わないでください。
 私は、日本の分離教育の問題について今後も追及していきたいと思っています。
 以上です。ありがとうございました。

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